四年ほど個人事業主として走ってきたフリーランスエンジニアの方から「そろそろ一人で会社を立てたいのですが、何に気をつけたらいいですか」と問い合わせをいただいたのは、ある火曜日の夕方でした。。年商1,100万円、客先は受託開発が2社にSaaS企業1社。インボイス対応もあって、法人化を決めかけていた、というご相談です。
事情を伺いながら、私はうっすら嫌な予感がしていました。設立のスケジュールはほぼ固まっていて、テンプレートの定款で進めるところだったからです。事業目的の文言を確認すると、本人が将来やりたいと話していたITコンサルティングと社内向け研修事業に対応する記載が、一切なかった。「これ、設立したあとで定款を直しますか?」という一言で、その日の打ち合わせは仕切り直しになりました。
率直に言えば、一人会社の設立は「登記が通った」と「会社として設計できている」の間に、思っている以上の差があると私は感じています。
私自身は行政書士として会社設立に関わっていますが、それ以前に自分でシステム開発の事業を立ち上げ、2社を経営し、うち1社の事業売却(Exit)も経験しました。データベースのテーブル構造を本番稼働中に変更するのがどれだけ大変か、エンジニアの方ならわかると思います。定款の変更も、会社が動いている最中にやるから面倒なのであって、設立前ならいくらでも自由に設計ができるんです。
この記事は、その「設立前にこそ考えておきたいこと」を、一人会社・一人社長の現場視点で書いていきます。設立の手順や費用一覧は、ほかの解説サイトに豊富にあります。私が伝えたいのは、登記を通したあとに効いてくる「設計の差」のほうです。
一人会社は「登記が通る」と「設計できている」の差が大きい

2006年に施行された現行の会社法より前は、株式会社の設立に最低3名の取締役と1名の監査役が必要でした。当時、一人で会社を作りたい人は名義だけの取締役や監査役を立てるしかなかった。これがあとあとトラブルの火種になることも多かったんです。
会社法の改正で、株式会社は取締役1名から設立可能になりました(会社法第326条1項)。監査役の設置義務も緩和されている。これで現在は、発起人・取締役・株主のすべてを自分一人で兼ねた会社を、合法的に作れます。
一人で設立できる会社形態は、株式会社・合同会社・合名会社・合資会社の4つ。ただ、合名会社と合資会社は出資者が無限責任を負うので、現代の創業実務ではほぼ選ばれません。実質的には株式会社か合同会社の2択と考えて差し支えないと思います。
選び方の目安はおおまかにこうです。対外的な信用を最優先し、将来の出資受け入れや事業売却の可能性を残したいなら株式会社。コストを抑えて自分の裁量で動かしたい、許認可上も合同会社で問題ない業種なら合同会社。
設立コストの差は、株式会社が約25万円、合同会社が約10万円。たしかに合同会社が安い。ただ、これだけで決めるのは早計だと感じています。許認可の必要な業種、たとえば人材派遣業の許可申請では、申請書類の書式が「株式会社の場合」を前提に作られていることがあって、合同会社で申請すると窓口で追加書類を求められたことがありました。一概には言えませんが、許認可・資金調達・出口戦略まで視野に入れると、合同会社の選択は条件付きという感覚で見ています。
それから、設立費用そのものより、設立後に毎年かかる固定費を見ておくほうがいい。法人住民税の均等割が、赤字でも最低7万円(資本金1,000万円以下、従業員50人以下の場合)。税理士の顧問料が年間20〜40万円程度。社会保険料の会社負担分が、役員報酬600万円なら年間90万円超。これらを合わせると、法人化することで個人事業主時代より年間100万〜150万円のキャッシュアウトが増えることはざらにあります。「赤字でも止まらない固定費」が一気に増えるのが、法人化の本当のインパクトだと思います。
ちなみに「課税所得800万円が法人化の分岐点」という話もよく見かけますが、これは半分本当で半分嘘だと思っています。所得税の累進と法人税の比較だけ取り出せばラインは出る。ただ、社保・税理士料・廃業コストまで含めるとラインはもっと上にずれます。私の感覚では、年間所得が3年連続で700〜900万円見込めるかどうか。「来年の売上が読めない」「いまだけ調子がいい」状況で法人化を急ぐのは、勧めにくいです。
定款をテンプレートで埋めると、必ず後で詰まる

冒頭の事例に戻ります。テンプレート定款がなぜ問題かというと、テンプレは「登記を通す」ことを目的に設計されているからです。許認可の審査基準まで織り込んだ設計にはなっていない。事業目的の書き方ひとつをとっても、ここに構造的な限界があります。
たとえば宅建業の免許を取りたいなら、定款の事業目的に「宅地建物取引業」という正確な文言が必要です。「不動産業」と書いてあっても、窓口で受理を拒否される。人材派遣も「労働者派遣事業」が正解で、「人材紹介業」では派遣の許可は取れません。建設業に至っては「建設業」だけでは足りず、都道府県によっては「土木工事業」「建築工事業」「電気工事業」のように具体的な業種名の記載を求められます。
これ、テンプレートはもちろん、freeeやマネーフォワードの自動生成でも対応しきれない部分です。許認可の必要な業種で設立するときは、その許認可の審査基準を先に確認してから事業目的を決める。この順番が逆になると、許認可が降りない、定款変更で目的を直す、という手戻りが発生します。臨時株主総会、議事録、登記申請、登録免許税3万円、待機2週間。3万円と2週間。1回ならまだしも、これが2回3回と重なれば、最初から専門家と一緒に設計したほうが安かった、という結論に必ず行き着きます。
事業目的のもう一つの注意点。「将来やるかもしれないことを全部入れる」のは、これはこれで駄目です。事業目的を30個も並べた定款は、金融機関の融資審査で「何をやっている会社なのか不明」と判断される材料になります。10〜15項目くらいが現実的な目安で、1番目にメイン事業を置くのが定石。登記事項証明書を見た相手が最初に目にするのが、この1行目ですから。末尾には「前各号に附帯関連する一切の事業」を入れておく。これは将来の余白を残す意味で、ほぼ必須の一文だと考えています。
本店所在地のところも、テンプレを使った人がよく踏む地雷です。定款には市区町村までの最小行政区画にとどめてください。番地まで書いてしまうと、同じ区内で事務所を移転しただけで定款変更と登録免許税3万円が必要になります。「東京都世田谷区」までを定款に書いておけば、世田谷区内のどこに移っても定款変更は不要。番地は設立登記の申請書側に書けば足ります。これは知っているかどうかだけの話なので、ここで知っておいてください。
それから公告方法。株式会社は決算公告の義務があり(会社法第440条1項)、定款で官報・日刊新聞・電子公告から選びます(会社法第939条)。官報公告が1回あたり7〜8万円、電子公告は自社サイトに5年間掲載すれば原則無料。一人会社で毎年7〜8万円を払うのは負担が大きいので、電子公告を選ぶのが合理的です。ただし、定款で「電子公告」と書いておいたのに自社サイトを持っていない、では公告義務が果たせない。会社設立と同じタイミングでコーポレートサイトを準備しておく前提で、電子公告にしておくのが現実的な進め方だと思います。
ここから先は、一人会社固有の話になっていきます。
株式譲渡制限のお話し
中小企業の一人会社では、株式の譲渡に会社の承認を要する旨を定款に定めるのが原則です(会社法第108条1項4号、第139条)。これを定めた会社を非公開会社と呼びます。
譲渡制限を入れることで、第三者への株式流出を防げる。さらに非公開会社になると、取締役の任期を最長10年まで伸ばせる(会社法第332条2項)、株主総会の招集通知期間を1週間に短縮できる(会社法第299条1項)など、運営コストを軽くする規定が複数連動して効いてきます。
ここまでは多くの方がご存知だと思います。問題は、この先です。譲渡制限は「株を外に出さないための万能の盾」ではないんです。会社法第136条以下の規定で、譲渡を会社が拒否した場合、会社自身が当該株式を買い取らなければなりません。買取額は一般的に純資産額の持分割合相当で、応じなければ裁判所まで持ち込まれて純資産相当の判決が出る傾向にある。つまり譲渡制限は、外に出さない代わりに自社で買い取る義務を生む規定でもあります。一人会社のうちは表面化しませんが、共同経営者を入れたり親族に株式を分配したりする段階で、急に重い問題に化けます。
取締役の任期と、株主総会の招集手続き
非公開会社の取締役任期は、定款で最長10年まで延長できます。任期2年だと2年ごとに重任登記が必要で、その都度登録免許税1万円(資本金1億円超は3万円)。10年に延ばせば、登記コストが約4万円分カットできる計算になります。
ただし、共同経営者を取締役に入れている場合は注意してください。関係性が悪化した役員を任期満了で退任させるまでに長期間待たなければならない。正当な理由なく解任すれば残存任期分の報酬相当額を損害賠償請求される可能性があります(会社法第339条2項)。一人社長なら10年、共同経営なら4〜5年。このあたりが実務的な落としどころだと思います。
株主総会の招集通知も、原則として総会日の1週間前までに発しなければなりませんが(非公開会社の場合・会社法第299条1項)、一人会社で「自分一人の総会に1週間前通知」というのは形式的すぎます。定款で「招集手続きを省略できる」「書面決議を可能とする」旨を明記しておくと現実的になる。会社法第319条の書面決議(みなし株主総会決議)は、議決権を行使できる株主全員が書面・電磁的記録で同意した場合に総会を開かずに決議できる仕組みです。これを定款に書いておけば、一人会社の意思決定が紙1枚で完結するようになります。これも、テンプレートでは入っていないことが多い項目。
一人会社で本当に怖いのは、社長が止まると会社も止まること

ここからが、私が一人会社の設立支援でいちばん力を入れて話す論点です。
一人社長の会社は、その社長が病気・事故・死亡で意思表示できなくなった瞬間、ほぼ全ての法的決定が止まります。新しい代表取締役を選ぶ株主総会の決議も、株主が一人なら本人がいないと開けない。契約のサインも、振込承認も、税務申告書への押印もできない。
私が以前に支援したケースで、社長が脳梗塞で半年間意識不明になった会社がありました。銀行への入金は続くのに、支払いだけが止まる。従業員への給与遅配寸前まで追い込まれ、家族が出てきて何とか乗り切ったんですが、定款と委任状の整備があれば、ここまで切迫しなかったはずです。事業は止まっていないのに、意思決定だけが止まる。あの状態は、見ているこちらも心臓に悪かったです。
対策はいくつかあって、組み合わせで考えるのが基本だと思います。
一つは、配偶者や信頼できる家族を非常勤取締役として登記に入れておく。費用は登録免許税1万円程度。これだけで、社長が動けなくなったときに、もう一人の取締役名義での緊急対応の道筋が残ります。実際の業務に関与しない名義役員でも、登記に入っていれば緊急時の選択肢が一つ増える。これは大きいです。
二つ目は、任意後見契約。社長本人が判断能力を失ったときに備えて、信頼できる人物に後見人として権限を渡しておく契約です。公正証書で作成して、費用は5〜10万円程度。これと、家族信託の仕組みを組み合わせて株式の議決権行使の方法を決めておくと、株主総会の議決権行使までカバーできます。
三つ目は、遺言で株式の承継先を明示しておく。一人社長が亡くなったとき、相続人が遺産分割協議で株式の承継先を決めるまで、株主総会の議決権を行使する人が決まりません。遺言で「この人に株式を相続させる」と決めておけば、相続発生から議決権行使までの空白期間が大幅に縮みます。
それから、定款側の備えとして、「相続人等に対する売渡請求」(会社法第174条)を入れておくケースもあります。望まない相続人に株式が渡ったとき、会社が買い取れるようにする規定です。共同経営者がいる会社では検討余地が大きいんですが、一人会社で家族にちゃんと承継してほしい場合は逆に発動させたくない規定なので、入れるかどうかは目的次第。「単に入れる/入れない」ではなくて、その条項が実際に発動したとき何が起きるかまで想定して設計するのが肝心だと考えています。
私が定款設計でこだわっているのは、まさにこのあたりです。テンプレートの一文だけでは、こうした有事のリスクには対処できない。事業承継のことまで設立段階で考えるのは大げさに見えるかもしれませんが、設立後にまた定款変更でやり直すと、毎回3万円+2週間が発生します。一度に組んでしまうほうが、結局は安いです。
設立後の運営で、一人会社が必ず引っかかる論点

設立を通したあとの話も、少しだけ書いておきます。一人会社で「設立から半年でつまずく人」が共通して持ち込んでくる相談を、3つに絞って。
個人と法人の口座は法人化初日から完全分離する
これ、本当に多いんです。一人会社の社長は、ついつい「自分の会社なんだから」と個人の財布感覚でお金を動かしがちですが、法人と個人は別人格です。会社の口座から個人的な買い物をすると、それは「役員賞与」とみなされて、損金不算入+所得税課税のダブルパンチになります。
対策は単純で、法人口座と個人口座、法人クレカと個人クレカを完全に分離して、生活費は役員報酬として個人口座に振り込んでから使う。これだけ。最初の1か月で運用ルールを徹底すれば慣れてしまいますが、最初の半年で混ぜてしまった人は、税務調査で芋づる式に出てきて追徴課税を食らいます。
役員貸付金、社宅、出張、交際費は規程で守る
一人会社が税務調査で狙われやすいのは、決算をチェックする目が社長一人しかいないからです。私的支出と事業支出の境界が曖昧になりがちな項目、たとえば役員貸付金、社宅家賃の計算、出張日当の運用、交際費の中身。いずれも「自宅と会社の境界」が曖昧になりやすい。
対策は、社内規程(出張旅費規程、社宅規程、接待交際費規程など)を最初に整備しておくこと。一人会社でも規程は作れますし、規程に沿った運用をしているという形を残すことで、税務調査対応が一気に楽になります。私はこの規程整備を、行政書士の業務として設立時に一括で組み込むようにしています。設立費用に1〜2万円上乗せされる程度ですが、税務調査が入ったときの安心感は段違いです。
役員報酬は年俸で考える
役員報酬の額は、原則として事業年度開始から3か月以内に決定し、その後は期中で変更できません(法人税法第34条)。これを「定期同額給与」と呼びます。期中で増減すると、増額部分や減額後の差額が損金不算入になり、法人税が増えるペナルティを食らう。
つまり役員報酬は、来年1年間の事業計画を立てたうえで決める必要があります。月給ではなく年収から逆算する習慣をつけてください。売上が読めないうちは低めに設定して、決算ごとに見直すのが現実的だと思われます。
社保負担も同時に考える。健康保険と厚生年金の保険料は、会社負担分と個人負担分を合わせて役員報酬の約30%(健康保険法第3条、厚生年金保険法第6条)。年俸600万円の役員報酬なら、年間180万円程度が社保で消えます。一人会社では会社負担分も実質的に自分の財布から出ているので、役員報酬の手取り設計はこの数字を踏まえて行う必要があります。
なお、「マイクロ法人で社保が浮く」と書かれた記事をよく見かけますが、これは役員報酬を月額4.5万円程度に絞り込み、残りの所得は個人事業主側で受けて、社会保険料の標準報酬月額を最低ランクに張り付ける運用です。理論上は社保負担を大幅に圧縮できる。ただ、事業内容が法人と個人で実質的に分かれていないと、税務調査で「区分が曖昧」と指摘されるリスクがあります。実務での運用難度はかなり高い、というのが率直な感想です。安易に飛びつかないでほしいと思っています。
設立コストと、変更コストの非対称性

最後に、お金まわりの話を簡単に。
株式会社の設立費用は、定款認証手数料(資本金100万円未満で1.5万円、300万円以上で5万円)、定款印紙代4万円(電子定款なら不要)、登録免許税15万円、印鑑作成1万円ほど。合計でおおむね20〜25万円。合同会社は定款認証が要らないので、印紙代+登録免許税6万円+印鑑代で6〜10万円程度です。
電子定款で4万円の印紙代を浮かせるには、マイナンバーカード、ICカードリーダー、電子署名対応のPDFソフト(Adobe Acrobat Pro等)の環境が必要です。一回限りの設立のために環境を揃えるのは、正直割に合わない。既に環境のある行政書士・司法書士に依頼すれば印紙代4万円が浮き、依頼料の大半はそこで相殺できます。
これに対して、設立後の定款変更は1回あたり登録免許税3万円+手続きの待機2週間。ここに、許認可がからむと申請ストップ期間の機会損失が乗ります。
設立コストと変更コストは、性質が違う。設立コストは「最初に1回だけ」、変更コストは「気づいたとき毎回」発生します。1回3万円+2週間で済めばいいんですが、3回4回と重なれば、最初に専門家と一緒に設計しておけばよかった、という話になる。これは数字の問題というより、構造の問題だと思います。
最後に
テンプレートで設立して問題ない一人会社もあります。許認可不要、共同経営者なし、出資受け入れ・事業売却の予定なし、家族承継の予定もなし。こういうケースなら、freeeやマネーフォワードの自動生成でほぼ完結します。
ただ、少しでも「この先事業を広げるかもしれない」「人を雇うかもしれない」「許認可を取るかもしれない」「家族に承継するかもしれない」「自分が倒れたときの備えがほしい」という可能性があるなら、話は変わってきます。
設立は一度きりの作業です。でもその定款は、会社が存続する限り効力を持ち続けます。設立登記を通すことがゴールではなく、設立後に始まる経営のスタートラインに立つための準備。私は定款を「設立に必要な書類」ではなく「経営の設計図」として見ています。最初にどこまで考えるかで、その後の自由度が決まる。一人会社こそ、ここの差が大きく出る、というのが私の実感です。
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